きいろいおちち

乳房から、黄色いお乳が出るのです。

それを我が子に含ませられるという幸せ。

近い未来、この世界に産まれ来る胎児のうごめきを腹の内側に確かめながら、

20年間感じる事のなかった「自分」を感じる。

遠慮という弱さや迷いを払拭して、エゴイズムを行使すること。

何かを守るための強さ、は、 往々にして代価を要する。

私がそれを躊躇うことはきっともう、ない。

十月もかけて形を変えた身体は、奇異な曲線を描いて生命を抱いている。

皮膚はしろく伸びて血液の管を透かし、内側に脂肪をまとって身体はまるく柔らかく重みを増した。

今までは存在を感じた事もなかった子宮が不本意に収縮を繰り返しては在処を主張し、肥大してゆく。

今、自分が感じている所謂”母性愛”というのは、ホルモンの分泌に依って成る感情なのだそうな。

この脆弱ないきものの、人間の、肉体の不思議。

この身体の中でうごめいている私のこども。

産み落とされてなお、長く庇護を必要とするちいさなちいさな命。

それを腕に抱いて守ってゆけることの、なんと幸福なことか。

このちいさな命が、私の世界を塗り替えてくれました。

たゆたう私に全ての動機をあたえて掬ってくれた。

私のからだが、きいろいおちちの出るつくりでなかったら

あなたと出会える日はずっとずっと来なかったでしょう。

それに感謝しているのよ。

もうすぐこの子と、初めてのさよならとはじめまして。

あなたの今も未来も、まるごと愛してる。

生きている、という幸せ

を、噛みしめるでもなく、じわじわと僕らは日々を舐め続ける。

人と人を比べることにはあまり意味がない。

人に向ける憐憫や同情は自分を自分たらしめるピースでしかない。

人類に大きな悲劇が降り掛かったとしても、僕らはいつだって個人のしたいようにするだけだ。

それが隣人を救うなら幸いだと思う。

それが隣人を苦しめるならば理不尽だと思う。

他人たちの笑顔をこんなにも幸せに思えるということ。

ぼくは1秒先の世界がいつでも今より優しいものであることを祈っている。

結局のところ

いくら思考を巡らせたところで

セックスと愛は別の物だし、

死んだ人間は記憶の限り生き続けるし、

愛憎は好き勝手に切り取れやしなくて

僕は自分本位な生き物に磨きをかけている最中。

たったひとつ、

打ちひしがれていた頃の自分に誇れるものがある。

どうしても譲れないたったひとつを手に入れたから、

僕はそれを守れればそれでいい。

この手から離れる日まで、出来る限りの幸せを育むよ。

脅かすものは何であれ許さないし、

精一杯の優しさを全部きみにあげよう。

僕は僕の自分勝手を振りかざして、

君に誇れる人間になりたい。

僕は、

僕の幸せを抱きしめられる日を待っている。

OR DIE

パイプベッドを囲んで、他愛の無い言葉を重ねた。

細く小さくなった身体はただ息をしている。

膨らんだ花柄の掛布の端っこから恐る恐る手を差し入れて、彼女の手足をさするしかない私たちはひどく滑稽だ。

ぼくらはただ、生きている。

理想

絶対的な庇護者など要らないのだ。

絶対の理解など必要ないのだ。

気持ちが悪い。

自分ですら理解出来ていない「私」と言う存在を、簡単に他人に理解などされてたまるか。

黙れよ。

吐き気がする。

それはきっと、自分自身に。

聞こえてきただけで、

赤の他人なんだ。

言葉を捏ねたって何にもならない。

騒ぎ立てたって何も出来ない。

そんなのはあんたの感傷だ。

こっちも勝手を捏ねさせてもらうなら、

失われていいものなんて、1つも、ない。

ただ祈る。おやすみは明日に続くように。

メモメモ

何ともない一言にちょっと余計に考える事があったりして。

「これを失うと生きてけない!」みたいな付き合い方はしないようにしてる、なぁと。

誰もが笑顔で楽しくあれば幸い。だけど僕ら永遠はないって信じてる訳で。

無くなるかもしれない不安がオブラートになって未来の痛みを和らげればこそ

まるで自慰のように。楽しみたいだとか。刹那的であれだとか。

音楽だったり、人だったり、家族は切り離せないものだと思ってるから別にしても、

唯一の偶像はもう作らない。

たぶん、作れないんだ。悲しい哉。

たったひとつに妄信的、になる、ことは、大きな原動力になるかもしれない。

僕はそれを若さだと思っていたし、現状は枯渇のようで怯えでもある。

貪欲さでもって飲み込めれば楽しいかもしれない。ただ丁寧さを忘れた。

例えば音楽が僕の宗教だった頃、

ひとつのギグを、

一枚のCDを、

何度も何度も反芻して浸ったあの幸福はもう得られないような気がするのです。

博愛

おやすみを言ってから、眠りにつくまでの時間に、微睡みが訪れない日は、酷く寒い。

時には鼓動がだくだくと、熱くなり、五月蝿くて、落ち着かない。

自己憐憫なんていう自慰行為に耽っていた日々は、とうの昔の出来事で

いつしか枯れた心は、己に対しての嫌悪と先行きの不安ばかり覚えて、堂々巡りをしている。

何かを享受するのが居たたまれないのだ。そう思うことすら、居たたまれないのだ。

おやすみなさいの一言すら優しくて躊躇ってしまうのだ。

何かに好きを向ける事や、気付けば新しい何かを好きになることすら、恐れている。

おそらく、手の中の物をないがしろにしたままで失ってしまう事を恐れている。

いつだって無くしてから気付く。

無くして行くものを諦める癖は、悲しくはなくて、ただ無感動だ。

人生なんてものはきっと、放っておけばすこしずつ、すこしずつ削れて行く。

僕は、傷付かない為に、何を削って来たんだろう。

どんどん無感動な生き物になって行く気がして、怖ろしい。

もし僕が失われる時が来た時に、世界が何ひとつ救われていなかったとしても

広島と東京と茨城を繋げた僕の記憶は、色褪せても、消えないでほしい。

行程

固定観念が邪魔をする。

好きだから期待をかけて、時には色眼鏡をかけて、恐れたり邪推したりしてしまう。

拘り過ぎると動けなくなる。

心が邪魔をする。

さっさと肯定観念が根を張ってしまえ。

嫌いが要らないなら好きにバリアーを張っても得はない。

冷静になれ さもなくば鈍感に、

胸を張って笑い給えよ

案の定、

混乱している。

悲しいは伝搬するから僕は紡がないようにといつも言い聞かすのだけれど、

苦しい。

苦しさを何かや誰かの所為にはしたくないよ。

そうそう、

21日の献花にはゆくつもり。

本当に何も流さないのならそれは幸い。

きっと姿を見たら混乱してしまうから。

ただ君という存在のあったことにお別れを。

ただ君はどこまでも生き続けると思うよ。

もうすこし駄々を捏ねさせてほしいのです。